昨年の12月の誕生日を経て、私はただいま57歳になっております。
57年も生きているといろいろな記録ができてしまうわけですが、そんな中でも若かった頃に達成した“自慢できない記録?!”を紹介したいと思います。
まずは美味しいカレーライスで有名な『CoCo壱番屋』さんで大盛りのカレーライスを食べたときのことで、もっとも記憶に残っているのはカツカレーの1300gを7分で食べ終えたことですね。
それはオートバイ屋で働きながらプロのモトクロスライダーを目指していた20歳すぎの頃の話で、生活がかなり厳しかったこともあり、また当時はかなり大食いだったので、タダでカレーライスが食べられるということでチャレンジしました。
私が最初に『CoCo壱番屋』さんに行ったときには、まだ6店舗くらいしかなかったときで、そのときにも1300gのカレーライスを30分以内に食べ終えたことがありますが、当時はタダになるのではなく商品がもらえました。
そこに行く前に喫茶店で軽く食事(たしかサンドイッチだったと思います)をしていたのですが、店によく来ていただいていたお客様に声をかけていただいて初めて『coco一番屋』さんに行ったのですが、そこでおごってあげるから1300gのカレーライスを食べてみないかと聞かれてチャレンジしたら軽く食べ切れてしまったわけです。
それから『CoCo壱番屋』さんによく行くようになったのですが、あるとき店の方に聞いてみたら“店が違っていたら1300gの大盛りカレーライスにチャレンジしてもいい”と言われたので、既に店舗を増やしていたこともあって別の何軒かでチャレンジをさせていただきました。
今では“全店通して1回限りのチャレンジ”としていますからこういうことはできませんが、当時はルールが甘かったので貧しかった私にはとても助かりましたよ。
それから同じ頃のことですが、春日井市にあるラーメン屋さんでやっていた“超大盛りラーメン”も食べました。
洗面器のような大きなどんぶりに、たっぷりの麺(4~5人前?!)が入っていて、さらに山のように炒め野菜が載せられていて、それを30分以内に食べたらタダになるということで一緒に働いていた仲間たちと一緒にチャレンジしました。
仲間5人で行って制限時間内に見事に完食できたのは私ともう1人の友人(モトクロスで国際A級に昇格した超イケメン外人)だけでしたが、まともに食べていたのは私だけでした。
麺や炒め野菜などは比較的簡単に食べられたのですが、問題なのはスープでした。完食したもう1人の友人はスープを別の仲間にちょっとづつレンゲで横流ししてインチキしていたのですが、その量はわずかとはいえ、それなりに楽になったんじゃないかな?!と思っています。
最悪だったのは翌日のことで、多量のラーメンスープを飲んだことで体中が甘ったるくなってしまったように思えて、出る汗までもラーメンスープのように思えたものですが、タダになった代償は小さくなかったように思えましたね。
こちらも同じ頃のことですが、なんと“6時間の通話”をしていた長電話の記録もあります。
幸いなことに自分から電話していなかったので料金はかかっていませんが、通話料が3分間=10円の時代でしたから計1200円程度のことなので今から思えば大したことはありませんが・・・会って話した方が良かったと思ったものでした。
それは深夜12時よりもちょっと前くらいだったと思いますが、当時好きだった女の子からかかってきた電話で、朝までずっと電話で話をしていたという出来事です。
その子は一緒にオートバイ屋で働いていた仲間の1人で、彼女には彼氏がいたらしいのですが私とも結構仲が良くて、たまに2人で食事に行ったり、彼女の家(1人暮らしのマンション)にも遊びに行っていたこともありました。
決して美人とはいえない女の子でしたが、学校のクラスに居たら人気のありそうなタイプで、とてもキュートなところがあり可愛く思えて、スタイルも抜群な憎めない女の子だったと記憶しています。
お互いにオートバイが大好きだったので気が合っていて、よく彼女の話を聞いていた気もしますが、それでついつい長話になることが多かったように思い出されます。
彼女は「ホンダ CBX400インテグラ」に乗っていて、オートバイのロードレースに出ることを夢見ていました。
だからこそ余計に親身になって話しを聞いていたんだと思いますが、あるときツーリングに出かけた帰り道で事故に遭ってしまい、愛車をフレームにダメージを受けるほどの損傷を負ってしまいました。
相手がいたことで保険で修理してもらうことになり、まだオートバイが新しかったので誰もが新車を買うこと薦めていたにもかかわらず、彼女はそれを断って愛車を修理することになったわけですが、その理由が“初めてのオートバイであり、私にオートバイの楽しさを教えてくれたから、どうしても直したい!!”でした。
そういう熱い気持ちに弱い私なので快諾して修理することになったのですが、いろいろあって結局は私の手で修理されることなく、心優しい仲間の手で復活してもらうことになってしまいました。
そのことについては彼女からのクレームが無かったわけでもありませんで、少しでも早く乗りたいという気持ちからそうなってしまったわけですが、私の手で修理して上げられたならば、もっとキレイに仕上げられていたと思いますし、もっと喜ばせて上げられたと思いますから、未だに心残りなことの1つです。
そんな彼女とはいつの間にか疎遠になってしまいましたが、何年か経った頃に連絡があって会うチャンスがありました。。そのときの彼女は素敵な女性に成長していて、とても嬉しく思えましたが、やはり愛車の修理の件では根に持っているようでしたね。
本当に良い友達でしたし、素敵な恋をしていたと思っていますが、今も元気で暮らしていることを願うばかりです。
まあ“くだらない記録”ばかりですが、今はもうこれらの記録を私には破ることはできないでしょう。
20~21歳くらいの頃の話なので青春の思い出とも言えなくもないと思いますが、とても懐かしい記録です♪